top of page
  • 執筆者の写真田中悠美子

わたしの世界観39~母のゆくさき、教授と音の再会

父の大往生で

一人残された車椅子の母。


デイサービスは

週に2日が限度、

自宅でマイペースに過ごしたい母が

一人暮らししやすい

引越し先をみつけなくては

、、、


都内我が家マンションの

近くを探しましたが、

遺族年金で暮らす88歳車椅子のお年寄りでは

受け入れてくれる大家さんは皆無に等しく、、、

。・°°・(>_<)・°°・。


奇跡的に

ようやく見つかったのは

1Kの狭いアパートでしたが、

いくらうちの近くとはいえ

あまりにも狭すぎる!!

。゚(゚´ω`゚)゚。



父の死後、

ようやく母に会う勇気が出ていた私は、

困り果てたまま

横浜のアパートに残された母のもとを訪問したついでに

URの現地案内所に立ち寄った

ところ

、、、


ななんと!!

たまたま対応してくれたスタッフさんから、

「私が担当している同じURの

アパートでしたら、

車椅子、高齢者OKバリアフリー物件が

ありますよ!」

という一言が

W(`0`)W!!!


さっそく

電車で移動して

現地を視察したところ、


周りの環境、受け入れ態勢、お部屋、

どれもお値段の割には

なかなかいい感じです!!!


ここしかない!と直感し、

母が気にいるかどうか見てもらうことを

即断しました!!


どうもこれは

天国の父の采配だったようです!!!

ありがたやー!


-------------------------------------------------------------------------------------

週末の日曜日は

イタリア文化会館にて

映像と音で参加した

ドキュメンタリー映画の上映会がありました。





公の場に出るのは

病気後初めてでした。


監督のムージャ・マライーニ・メレヒさんと

文化会館館長の対談を拝聴して

映画を鑑賞。


ムージャは

人類学者フォスコ・マライーニの孫にあたり、

アメリカで映画製作、演技の研鑽を積んだ才媛。

名古屋の強制収容所に入れられた

祖父母一家の足跡と家族の記憶を、

東京、名古屋、フィレンツェ、バゲーリアなど

ゆかりの地を訪れて撮影した

ドキュメンタリー映画『梅の木の俳句』は、

映画監督デビュー作品となります。



映画中、

ニューヨークのバジル・ツイストがてがけた

日本の伝統人形芝居で使われる舞台装置

「道具返し」へのオマージュ作品のシーンが

随所にインサートされており、

私はバジルとのご縁つながりで

前の年、まだ元気な頃にイタリア文化会館にて

三味線演奏のシーンを収録したのでした。



鑑賞中、何度か自分の演奏映像が流れて

ドキドキはらはら、、、


マライーニ一族を崩壊に追い込んだ

戦争の不条理を描いた内容で、

全編陰鬱で重苦しい内容でしたが、

坂本龍一氏の音楽が

映像に神聖な光と救いを与えていました。


最後に流れるエンディングで、

私が収録時に即興で演奏した

三味線の音がミックスされた曲が流れ、

弦楽オーケストラとのあまりに絶妙な組み合わせに

背筋がゾクゾク!!!


自分で演奏していて、

「なんかめちゃくちゃ美しい音出たなあ!」という

まさにその箇所を使ってくれていて、

オケとの音の組み合わせも

言いようのない美しさ!!!


美を追求する一流のアーティストは、

突き抜けた感性をしているものです。

「さすが!!」と

驚嘆したのでありました。


2014年NHKEテレ

「スコラ 音楽の学校 シーズン4」の

対談番組以来、

ようやく音による教授との共演が実現して

ほんとに嬉しかった〜

╰(*´︶`*)╯♡!






Eテレ収録後、教授との記念写真



-----------------------------------------------


翌日

施設の方に付き添いをお願いし、

母にバリアフリーのアパートを

内見してもらったところ、


「あなたを信じる」の一言

 (;^ω^)。。。



深窓の令嬢が

そのままおばあちゃんになってしまったような

世間知らずで女王気質の母(-_-;)ですが、

どうやら

及第点をもらったようです。



その日から、

父の残務整理、母の引越しと、

怒涛の日々が始まったのでした。



つづく



閲覧数:33回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page