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  • 田中悠美子(ながえゆみこ)

わたしの世界観6~伝統芸能界へ


東京芸大には邦楽科があります。

当時は、

三味線音楽の長唄、常磐津、清元、

邦楽囃子、

箏曲、尺八、

能楽、能楽囃子

の各専攻があり、

2年生から副科実技として

専攻生でない学生もレッスンを受けることができました。

文楽をみて義太夫三味線を演奏してみたい!とひらめいたのは

1年生の時で、

まだ副科の授業を取ることができませんでした。

しかたなく

邦楽科のおともだちに

長唄三味線をちょこっと教えてもらいましたが、

なぜだかすぐに演奏できるようになっていました。

「三味線、おもしろい~(●^o^●)」

(最近わかったのですが、私のご先祖さまに三味線奏者がいらしたようで、その方の霊的導きで三味線を始めたようです)

「でもやっぱり義太夫三味線が弾きた~い(*´▽`*)!」

ところが、邦楽科には「義太夫三味線」を教えてくれる科が

ありません。

そこで私は、

『横浜文楽同好会』という鑑賞組織に入り、

そこの事務局長さんと仲良くなって、

竹本文字太夫師(のちの人間国宝・竹本住大夫。今春逝去。)

を紹介していただき

「直談判」しました

(≧▽≦)

「義太夫三味線の勉強をしたいのですが、

文楽に入ることはできませんか?」

すると、、

「女性は文楽に入ることはできまへん。

女流の義太夫さんを紹介しますわ。

文楽の師匠にお稽古してもろうてる優秀な人で、

間違いない。

そこいってお稽古してもらいなはれ。

それが一番や。」

えっ女流義太夫

な、なんだそれは

明治期後半に大流行した娘義太夫

さっそく、

当時女流義太夫の月例公演が行われていた

上野広小路「本牧亭」(2011年閉場)におもむきました。

生まれてはじめて下足番のおじちゃんに靴を預け、

畳敷きの寄席に足を踏み入れて、

しびれる足でお座布団に座って待つこと30分。

いざ開幕して驚いたことには、

文楽みたいに人形がついていないではないか(゜o゜)!

出演者は太夫さんも三味線さんも

高齢のおばあちゃんたちだらけではないか(゜o゜)!

太夫さんはおばあちゃんなのに、

おじいちゃんのような声で語っているではないか(゜o゜)!

めくるめく女流義太夫ワールドに圧倒されました。

住太夫さんに紹介していただいた

竹本駒之助師は、

80歳~90歳のおばあちゃんたちに比べれば断然お若いほうで、

当時40歳代前半だったかと思います。

終演後すぐに楽屋にうかがって

お稽古をお願いし、

二つ返事で引き受けていただいて

相模大野のお稽古場に通うことになりました。

そして、

最初は「てほどき」ということで、

語りと三味線の両方をお稽古していただきました。

じつは

文楽できいた太夫さんの語りは、

つばを飛ばしながら大声を張り上げて、大汗かいて泣いたり笑ったり(;^ω^)、、、

ちっとも「いいな」とは思わなかったのですが、

自分でやってみると、浄瑠璃の語りもなかなか楽しいものです。

ピアノと違って譜面もないし、口伝えの世界。

最初はとまどいましたが、

慣れてくるとそれがまた面白くて、、、、

卒業論文のテーマは「義太夫三味線」に決まりだな!

なんか「芸名」っていうのもかっこいいし、

一生に1つくらいは本名とは違う別の名前もほしいなあ、、

などと考えているうちに、

「三味線をちゃんとお稽古したいなら、

プロの三味線弾きさんに教わらなきゃあかんよ。

文楽の三味線弾きさんのところに行くか?」

という師のお言葉。

うわ~!!文楽の師匠にお稽古してもらえる~!ヽ(^o^)丿!

もちろん即答で「はい!!」とお願いして、

あれよあれよと文楽の師匠のもとに

入門することになったのでした。

つづく


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