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  • 田中悠美子(ながえゆみこ)

わたしの世界観5~三味線にであう


お受験のために

母が探してくれた先生は、

東京芸大楽理科出身の

超優秀で、見目麗しい先生でした。

ご主人は大手企業の役員さんで、

お勤めしながら作曲家でもあるという

なんとも優雅な方。

その先生のもとで、

英語の楽書購読や小論文の書き方を学び、

和声法やソルフェージュ、楽典は

別の先生のところに通いました。

本格的にお勉強に通い始めたときは、

もうすでに高校3年になっていたかと思います。

当時は、

夜から深夜にかけてラジオ放送を聴きながら受験勉強する、

というような時代だったのですが、

わたしは

『アメリカントップ40』

をはじめ、

『現代音楽の時間』『世界の民族音楽』など、

クラシック音楽以外の音楽番組ばかり

聴いていました。

ふと、、、

そういえばなぜ、

日本の音楽大学に入るために

英語や西洋音楽関係の勉強ばかり

しなくちゃならいのだろう???

という素朴な疑問が、、、、

棟方志功のおっかけをすることで、

日本文化に興味をもった自分としては、

「日本の音楽」がどんなものであるかほとんど知らないことが

不思議でたまらなくなってきました。

福岡の祖父は、

里帰りするとお座敷で「お謡」のお稽古をしていたし、

祖母の日本舞踊のお稽古に連れられて、

わたしも少しだけ舞踊を習ったこともありました。

でも、

戦争体験者の父や母は

欧米文化におもいっきり憧れをもっていた人たちだったし、

まわりに日本音楽をやっているお友達もいなかったし、

音楽の授業で鑑賞したこともないし、、、

日本音楽や芸能に関する情報は

ほとんど無きに等しい状態でした。

日本の美術が世界的に認知されているのに、日本の音楽は?????

その疑問が次第に募るようになり、

「そうだ楽理科に入ったら

いままで知らなかった

自分の国の音楽を研究してみよう!!!」

という決意が固まっていったのです。

ということで、、、

芸大音楽学部の中で最も難しいといわれた学科試験、

小論文テストに加え、

ソルフェージュ、和声、楽典、ピアノ、、、

当時は一浪、二浪は当たり前と言われていた楽理科でしたが、

本番に強い(;^ω^)私は

奇跡的に一発で合格を果たしました

入学後、

堰を切ったように日本音楽を勉強し始めました。

生まれて初めて鑑賞する日本の伝統芸能や音楽は、

見るも聴くも目新しいものだらけ(゜o゜)!!!

「エキゾチックジャパン」な世界でした(;^ω^)。

なかでも

国立劇場で行われていた

人形浄瑠璃「文楽」で演奏されていた

ダイナミックな「義太夫三味線」の音にであった瞬間、

不思議な懐かしさが、、、、

「この三味線を演奏したい!!!!!」

矢も盾もたまらなくなり、

単身伝統芸能界に乗り込み、師匠の門を叩くことになったのでした。

今思えば、このときも天からの「サイン」が。。。。

つづく


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