前回は、
2008年9月付けで大学をやめて
2010年舞台作品発表まで’猪突猛進’(^_^;)するところまで
駆け足でお伝えしましたが、、、
ほかにもさまざまな面白いことがたくさん
起こりました\(^o^)/
NYで知り合った笛の「こと」ちゃんとのご縁で、
廃品打楽器の山口ともさんとつながり、
浅草の木馬亭や東洋館で年2回行われる
バイオリン演歌の福岡詩二先生の会に
出演して、
お笑い芸人さんのマネごとをするようになったり、
一人コント・劇作家のオオタスセリさんの舞台に
お誘いいただき、
ものすごく久しぶりに
永六輔さんとご縁が復活したり、、、
ちなみに、
私はお笑いが大好きで、
大学生のころ、
真剣に「よしもと新喜劇に出たい」
と思っていました。
しかし、
吉本興業制作のミュージカルに関わったとき、
プロデューサーさんから
「吉本は過酷です。
間違っても入ろうとか思わないほうがよい」
と釘をさされて
すっかり諦めてしまいました(^_^;)、、、
とか、
デーモン閣下の「邦楽維新Collaboration 」で
閣下と黒船バンドと共演したり、
↓
仙波清彦さんとのご縁でつながった
ボーカルの三橋美香子ちゃんと
ものすごくひさしぶりに
お笑い系プログレ(;^ω^)バンド
「キッチンドリンカーズ」のライブを復活したり、
とか、
「フォルマント兄弟」
『NEO都々逸』で
岡野勇仁くんが演奏する
人工音声の都々逸の三味線伴奏をしたり、
↓
[この作品は2011年7月、
出演した
品川よしもとプリンスシアター
「ストレンジ・ボイス〜奇妙な声の実験室」
などでも演奏されました。]
とか、
コンピューターミュージックの先駆者カール・ストーン、
NY在住、中国琵琶のミン・シャオファン
とのトリオで
パリや北京に連れていってもらったり、
とか、
桜井真樹子さんの「こけし浄瑠璃」参加、
マルコス・フェルナンデスさんのドキュメンタリー映画
「空間を奏でる:建築物の為の音楽」参加、
とかとかとか、、、、、
そして
研究活動も続行。
三味線音楽のすべてのジャンルを網羅した
『まるごと三味線の本』を
楽理科の同級生、
野川美穂子さん(地歌・箏曲研究)、
配川美加さん(歌舞伎音楽研究)
と共同編集して
2009年12月上梓したり、
↓
楽理科の山田智恵子先輩にお誘いいただいて
2010年3月から京都市立芸大付属
共同研究会研究員として、
町田佳聲先生による
三味線音楽の旋律型の研究を掘り下げてみたり
、、、
そうこうしているうちに、
2011年3月の「3.11」が。。。
いまだかつてない大地の激しい「揺れ」に
生まれて初めて生命の危険を感じ、
日々流される津波の映像、
死者・行方不明者の膨大な数字に、
「人の命ははかない」
という真実に向き合わざるを得ない状況が。
今思えば、
この年から体調が次第次第に
不安定になっていきました。
そうそう、
2011年は
ほかにもいろいろありました。
1月には、
ニュージャーマン・シネマの鬼才
ウルリケ・オッティンガー監督の映画
”Under Snow” ロケで
越後湯沢の十日町に赴き、
雪に半分埋もれて凍えながら(^_^;)
瞽女(ごぜ)さんに扮して三味線を演奏。
監督とは、
1999年オーストリアのグラーツ、
シュタイヤーマルク秋の芸術祭で
日墺合作の演劇に参加した時にご縁ができたのですが、
そのときご一緒した
文学者の多和田葉子さん、
日本舞踊家の藤間貴雅さんも
同様の被害に巻き込まれました(;^ω^)、、、
9月には
記念演奏を行い、
プレミア上映オープニングにも出席して
超満員の会場で挨拶するという
晴れがましいお役目を
いただき、
なんだかすっかりセレブになったような気分を
味わいました。
ハイナーさんも見に来てくれて
本当にうれしかった~(*´▽`*)!!
同9月に、
生まれて初めて
ライブを自主企画!!
即興を行う日本楽器奏者4人
VS
アンダーグラウンドミュージック界のレジェンド
灰野敬二さん
という超レアな企画で
大成功!!
10月には
久しぶりにご縁が復活した
一楽儀光さんが使っていた
MIDIコントローラーを応用した
新楽器”DORAnome”に触発されて、
”Shaminome”を作ってもらって
演奏してみたり、、、
↓
もう!!
やりたい放題すぎやろ~(≧▽≦)!!!!
楽理科の同級生で
芸大の教授になっていた
塚原康子さんのお声かけで、
4月から
倉敷の作陽大学に1泊2日泊まり込みで
非常勤講師として教育活動も再開しました
が、、、
遠方への毎週の出張も
徐々に身体への負担となっていきました。
私の人生、
静かに迷走が始まっていたのです。。。
つづく