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  • 田中悠美子(ながえゆみこ)

わたしの世界観15~婚活・主人とのであい


ちなみに、、、、

大学の仕事は

もちろん真面目にこなしていました。。。

(;^ω^)

講義と実技レッスンの両方があるので、

授業の準備は音楽コースのほかの先生方の

倍以上かかっていましたし、

そのほかにも

卒業論文・修士論文の指導、

教育実習の指導、

学年担任、

公開講座講師、

大学内各種委員会への出席、

他大学の非常勤講師、

付属中学の音楽授業補佐、

邦楽コンクール審査員、

教育研修会出席、

学会活動、

等々々、、、、

大学の先生というのは、

自分の研究業績を積んで、

あとは授業だけやっていればよい、というわけには

いかないのです。

しかも私の場合、

その「研究業績」について

演奏の実績だけ積めばよい、

というわけにはいかず、

所属学会向けに

論文を書かないとなりませんでした。

もともと文章を書くのは

嫌いではありませんでしたが、

「査読」つきの正式な論文となると

話は別です。

資料収集から含めると、

1本書くのに

最低1年はかかります。

「コツコツ積み上げる」のが苦手な私にとって

論文書きはなかなかにキツイ作業でした。

とはいえ

論文もある種の「自己表現」なので、

いったん軌道にノリ始めると

それはそれで

楽しくもありました。

が、、、

どうしてもなじめなったのは、

ここが

「国立の教育大学」だったということ。

現場の先生の再教育も含め、

基本は「初等教育」。

小学校(中高の教員免許も取得できますが)の先生や

幼稚園の先生を育てることが

本位です。

日本の小学校の先生は

基本的に一人が全教科を教えるので、

極端にいえば

各教科についての専門的な深い掘り下げは

それほど重要ではないということになります。

(もちろん重要なのですが、国の教育制度が

いまのところそうなっているのでしかたありません)

研究についても、

各教科の内容を掘り下げるものより

「こどもたちにどう教育していくか?」

という教科教育法のほうが必要とされます。

もっと言ってしまえば、

生徒指導、学級経営、学校臨床心理など

いわゆる「教育学」「心理学」

を身につけるほうが急務。

その上、

「音楽教科や美術教科は

そのうち学校教育の場からなくなる」

とさえ言われていました。

学習指導要領の改訂で、

たしかに日本音楽や和楽器に関する知識や実技が

必要となりましたが、

教育の現場はその動きになかなか追いつかず、

箏や三味線、和太鼓などを購入する予算もなし。

和楽器を広めようとがんばっている現場の先生方は、

自費で楽器を買い集めるしかないような

状況でした。

音楽コースの中では、

三味線や箏、沖縄の三線などに興味を持つ学生たちも

もちろんいましたが、

ほとんどは

ピアノや吹奏楽など、

学校に楽器が常備されている音楽を

専攻して、

和楽器は副科として履修する

という感じでした。

大学院の現場の先生方も、

ともかくひととおり

なんらかの和楽器を習っておけば安心、

というようなマインドで、

音楽以外の専攻の人たちは、

「三味線、箏、面白そう!やってみたい!」という

カルチャースクールノリの人ばかりでした。

逆にいえば、

だからこそ

自分が深く掘り下げていた

義太夫三味線でなく、

細棹三味線や箏を学生に教えることができたとも言えますが、

その事実に向き合えば向き合うほど

苦しくなるばかり(;_;)。。。

モチベーションが下がりっぱなしの状況で

ふとまわりを見回してみると、

学内の数少ない女性の先生は

独身の人がほとんどで、

このままこの「陸の孤島」のような大学で

過ごしていたら、

一生独身のまま

終わってしまうかも、、、

という不安もよぎりはじめました。

おりもおり、

大学勤務時代から

おつきあいしていた彼と破局(>_<)

ともかくどうにかせねば!!(´・ω・`)!!

「思いついたら即行動」で

婚活サービスの会社に登録しました。

そして、

バジル・ツイストの

Dogugaeshi”ニューヨーク初演から帰国したばかりの

2004年11月末。

東京の椿山荘で行われた

200人規模の婚活パーティーで

主人との出会いが!!!

顔をみたとたん、

「この人」

とすぐにわかりました(*´▽`*)!!

またも天の采配です!!!

出会いからおよそ半年、

めでたく入籍と

相なりました~\(^o^)/

つづく

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