わたしの世界観23~地獄の日々のなか

ライブ活動休止後、 あちこち病院に通っている間に 身体は悪くなる一方で、 頭のふらつきはひどくなるばかり。 整体に行っても首や後頭部の痛みは すぐに戻ってしまい、 首が動かせないばかりか ちょっと下を向いただけで 吐き気、、、 眼振のある右眼が異様に痛くて 顔を洗うのもつらく、 目がちらつくので 読書もできないし テレビも見れない。 身体全体のバランスが取れず、 歩いているうちにだんだん右側に寄ってしまうし、、、 歩行の上下動でむかつくので ゆっくりしか歩けず、 家の中で生活していても 方向転換するたびに吐き気、、、 その他 耳鳴り、ドライマウス、 入眠障害、 身体あちこちのピリピリピクピク、、、 病院や整体に行く以外は、 うちに閉じこもり、 うちの中でも ごはんを食べるとき、 お風呂に入るとき、 寝る時以外は リビングのソファに一日中 じーっと座って、 ラジオのJ-WAVEか Youtube のヒーリングミュージックを 聴くしかない毎日。 からだが弱り切っている 時には、 自分がこれまでさんざん演奏して来た 即興音楽、実験音楽、現代音楽などの 特殊な音楽は、 あまりにヘビー過ぎて まったくもって聴く気が起こらず (^^;)、、、 この手の「特殊音楽」は、 エネルギーが充実しているときでないと 鑑賞できないのだ、ということが よくよくわかりました(^^;)、、、 長い間、 ある種のクオリティーが低いヒーリングミュージックに アレルギーがあったため、 「癒しの音楽」というカテゴリー自体に 懐疑的ですらあったのですが、 ひどい痛みや苦しみを背負ったことで、 自分自身にいやしの音が必

わたしの世界観22~めまい・ふらつき症状で不安のどん底へ

じつは 一時退院した母の付き添いで 両親のアパートに1泊し、 怒りと不安が爆発した その3週間ほど前 、、、 すでに ある兆候が 現れていました、、、 7月22日、 朝眠りから覚めてぽちっと目を開けたところ、 ななんと天井が1回転(+o+)!! 大学時代に 頑張りすぎから 回転性めまいが2週間も続いた前歴があるため、 「ヤバイめまいキター!」と 心臓バクバクが 止まりません(>_<) 回転はすぐに止んだものの、 心配のあまり 主人に付き添われて K病院の家庭医療科に駆け込み めまい薬処方。 25日に内科を再受診して「頭位変換性めまい」と診断され、 翌26日脳神経外科でMRI撮影、異常なし。 その後は、 ライブやリハーサルの合間に 行きつけのE整体波動院 に通って、 楽器演奏による 五十肩、首コリ、肩コリ、腰痛など おもに身体右側のコリをほぐしてもらっていましたが、 母をケアしなくてはならない問題が 起こるたびに、 ストレスから 次第に頭のふらつきが 起こるようになりました。 そして、 両親のアパートに1泊し、 怒りと不安が爆発した8月10~11日の 5日後、 断捨離が全く進んでいない 自分の部屋の片付け中、 今度は右手右足が急にだるくなり脱力、 浮動性めまい(>_<)!! うわー何これー( ゚Д゚)!! まさか脳梗塞??脳出血?? またもや主人に付き添われて K病院家庭医療科へ。 20日にMRI撮影、異常なし。 漢方薬を処方してもらいました。 その後相変わらずの小康状態のまま、 8月29日に母が退院します。 内橋和久氏、Senyawaの2人と Iman Jimbot ↑ 9月3

わたしの世界観21~母の一時退院でマグマ噴出

2015年1月 父の「硬膜下血腫」に続き、 2016年4月 私がインフルエンザで意識不明転倒、 後頭部強打。 5月26日には 母が「脳出血」で入院。 一家3人が 同じような時期に 同じ「頭」の不具合を 抱えたことになりました。 これも何かの因縁だったのでしょう、、、、 幸い、 母の脳出血も 命にかかわる大事には至りませんでした。 とはいえ、 電車の切符も一人では買えないくらい 車ばかり乗っていて、 すでに足腰が弱っていた母。 リハビリ病棟に移って 毎日懸命に歩行訓練したものの 足の麻痺は治りきらず、 とうとう車いす状態になってしまいました。 そんな母が、 父と2人の アパート生活に戻る練習をするため、 8月10~11日に一時退院しました。 どう考えても 2人きりにさせるわけにはいかず、 私は付き添い役で 横浜のアパートに1泊しました。 そこで、 これまでマグマのようにぐつぐつ煮えたぎっていた 私の中の長年の「怒り」「不安」が 堰を切ったように 大噴出してしまったのです。 思い起せば、 物心ついたこどものころから 父と母は しょっちゅう喧嘩を繰り返していて、 私はどうしてこんな家に生まれてきちゃったんだろう、、、 という悲しみや無力感が 心の底に刻まれていました。 その原因が 2人の相性の悪さだけではなく、 お金の問題らしい、ということは なんとなく感じてはいましたが、 自分が成人したあとのあとまで 真実は ずーっと闇の中でした。 私が大学に就職して 東京のアパートを引き払い、 同時に 両親が一軒家から 新横浜のマンションに引っ越すことになったことを きっかけに、 母が長年隠し続

わたしの世界観20~父の入院、母の入院、そして、、

2015年は、 メキシコなど海外行きも数多かったのですが、 国内の旅も思い出深いものが多く、 ACCの奨学金を得て 日本に長期滞在するバジル・ツイストのアテンドで、 高知の「絵金祭り」や 京都の祇園祭で 浮遊感に浸ったり、 ↓ 大阪の文楽劇場に行って 数十年ぶりに 人形遣いさんの楽屋に行って バックステージツアーに参加したり、、、 ↓ 演奏の仕事では 大分の国東半島~宇佐神宮の旅、 埼玉の秩父4Dなど、 大好きな「異界」(^_^;)をさまよう体験が たくさんできました ヽ(^o^)丿!! しかし、、、、 じつは 1月に、 父が脳硬膜下血腫で 倒れて緊急入院。 私はちょうどその時 ひどいインフルエンザで 寝込んでいた最中で、 主人が代わりに横浜まで赴いて 入院手続きなどしてくれて、 手術は成功。 間が悪いことに、 インフルエンザが治った直後から 徳島行き~ロンドン行きの演奏仕事が入ってしまい、 その間 足が弱っている母の代わりに 主人が忙しい仕事の合間、 病院に通ってくれました。 ロンドンから帰国後 ようやく病院に見舞いに行くことができて、 介護保険のことやら ケアマネージャーさんとの面談やら、 娘がやるべきことは なんとかこなすことができましたが、、、 退院後は 海軍兵学校で培われた 不屈の魂と 母の懸命な看病によって、 父は杖をついて 外を出歩けるようになり、 ほっと一安心だったのですが、、、 運命の2016年。 ずーっと滞っていた 2010年の 舞台公演DVDリリースに向けて、 重い腰をようやく上げて 編集作業を進めようと準備していた矢先のことです。 4月18日夜中、 イン

わたしの世界観19~3.11以降は、、、

3.11以降 下痢が続く、 新幹線の長距離移動がつらい、 夏は熱中症になりやすい、 インフルエンザにかかると一か月ほど治らない、 などの体調不良が 目立つようになりましたが、 それでもまだまだ 元気にあちこち飛び回っていました。 2012年からの印象深い活動は、、、 1月から サックスの坂田明さんと、 「はにわオールスターズ」以来の ご縁が復活!! 『平家物語』などで あちこち連れて行って頂くようになりました。 3月には 国際交流基金主催の 『東北民俗芸能と 鬼太鼓座&Musicians米仏中巡回公演 ~震災を乗り越えて』 にて、 湧水神楽、黒森神楽、臼澤鹿踊り、 鬼太鼓座、梅津和時さん、 おおたか静流さんほかと ニューヨーク(なんと国連総会議場!)、ロサンゼルス、 パリ、北京、上海、重慶、 広州、香港をめぐり、 帰国後、 NHKホールで行われた 『NHKバレエの饗宴 2012』で上演された 東京バレエ団の「ザ・カブキ」 (振付:モーリス・ベジャール 音楽:黛 敏郎) で、 たった16小節(;^ω^)演奏される義太夫三味線のフレーズを 東京フィルハーモニー交響楽団と共演!! 4月は ”Dogugaeshi”ワシントン公演。 2013年は 9月から11月にかけて ”Dogugaeshi” ニューヨーク、ロサンジェルス、 バークレー公演 & サンディエゴの海岸で バジル・ツイストの新作”Seafoam Sleepwalk”初演。 その合間をぬって、 ニューヨークのHERE Arts Centerで 2010年東京で発表した舞台作品”KIYO”の ダイジェスト版上演、 サックス・尺八

わたしの世界観18~やりたい放題そして3.11

前回は、 2008年9月付けで大学をやめて 2010年舞台作品発表まで’猪突猛進’(^_^;)するところまで 駆け足でお伝えしましたが、、、 ほかにもさまざまな面白いことがたくさん 起こりました\(^o^)/ NYで知り合った笛の「こと」ちゃんとのご縁で、 廃品打楽器の山口ともさんとつながり、 浅草の木馬亭や東洋館で年2回行われる バイオリン演歌の福岡詩二先生の会に 出演して、 お笑い芸人さんのマネごとをするようになったり、 一人コント・劇作家のオオタスセリさんの舞台に お誘いいただき、 ものすごく久しぶりに 永六輔さんとご縁が復活したり、、、 ちなみに、 私はお笑いが大好きで、 大学生のころ、 真剣に「よしもと新喜劇に出たい」 と思っていました。 しかし、 吉本興業制作のミュージカルに関わったとき、 プロデューサーさんから 「吉本は過酷です。 間違っても入ろうとか思わないほうがよい」 と釘をさされて すっかり諦めてしまいました(^_^;)、、、 とか、 デーモン閣下の「邦楽維新Collaboration 」で 閣下と黒船バンドと共演したり、 ↓ 仙波清彦さんとのご縁でつながった ボーカルの三橋美香子ちゃんと ものすごくひさしぶりに お笑い系プログレ(;^ω^)バンド 「キッチンドリンカーズ」のライブを復活したり、 とか、 「フォルマント兄弟」 (三輪眞弘と佐近田展康のユニット)による 『NEO都々逸』で 岡野勇仁くんが演奏する 人工音声の都々逸の三味線伴奏をしたり、 ↓ [この作品は2011年7月、 明和電機やVOCALOID(ボカロ・初音ミクの元ネタ)開発者も 出演した 品

わたしの世界観17~大学やめて舞台作品発表

宿舎に山積みとなっていた荷物の 半分以上を処分して、 主人の待つ東京のマンションに舞い戻ったあとは、 しばらく 荷物整理と職安通いに 明け暮れ、、、 2009年1月頭から 80日間の文化庁海外研修に突入!! 今回の研修目的は、 「三味線音楽と人形・オブジェクトのコラボレーションによる 実験的なシアター作品を創作するため」。 こんどはACCの研修のような 手厚いケアと潤沢極まりない助成金を受けるわけには 行きませんでしたが、 受け入れ先のバジル・ツイストのスタジオや、 彼が拠点とする劇場”HERE Arts Center”に通って 人形の試作品を製作してみたり、 バジルの人形公演やそのほかのさまざまな人形劇を 見に行ったり、 ジャパン・ソサエティーの催しを見に行ったり、、、 自分なりの舞台作品を作るために、 研鑽を積みました。 もちろん 人形製作は初めての体験。 しかし、 じつはじつは 文楽が好きになった一番の理由は 「お人形がきれい」だったからでした。 本当は、、、 最初になりたかったのは、 三味線弾きではなく、 人形遣いだったのです(^_^;)、、、 素人がゼロから人形 (しかも操作できるパペット)を作るのは 至難の業でしたが、 バジルやお弟子さんのジェシカに指導してもらいながら、 マスクと手足が動く小さなパペットの試作品を 作ることができ、 どのような作品を作りたいのか、 構想も固まってきました。 そうそう、 セサミストリートの ジム・ヘンソンカンパニーを見学したのも ワクワクものでした!! あっという間に80日間は終わり、 日本に帰国。 こうなったら、 もう止まりません(

わたしの世界観16~ニューヨーク研修、そして大学やめました

ということで、 2004年11月は "Dogugaeshi"ニューヨーク初演、 主人との出会い、 とよいことが続きました そして、 翌2005年は 東京や京都での演奏のほか オスロ―、ソウル、ストラスブール行きもあり、 週末には 主人が住んでいる荻窪のマンションに 帰るようになっていたので、 兵庫、東京、海外と、 「移動移動」の生活を送る状況に。。。 海外行きについては、 大学執行部側の評価に貢献するので、 むしろ推奨されていた感もありましたが、 ”Hashirigaki”のときほど 頻繁にはならないように、 また、 周囲の先生がたに迷惑がかからないように なんとか気をつけているつもりでした。 がんばって論文を書いたおかげで、 4月には講師から准教授に昇格!! 6月には主人と入籍!! それに勢いづいて(;^ω^)、 さらなる”暴挙”(;^ω^)を企てました。 ジャパン・ソサエティーの塩谷さんから言われた 「アジアンカルチュラル・カウンシル(ACC) のフェローシップに応募して助成金が取れたら、 ニューヨークに半年くらい滞在できる」 という言葉が どうしても頭から離れず、、、 「やっぱり行きたいニューヨーク💗!! ACCに応募する~!!」 出ました! いつもの 「思い立ったら即行動」\(^o^)/!! ニューヨークは それまで既に6回訪れていました。 1985年、セントルイスオペラシアターでの 40日間の滞在期間の合間をぬって、 所作指導の日本舞踊家さんと 美術の朝倉摂さんのアシスタントさんに 連れていってもらったのが初体験。 そのころのNYは まだまだ危険な場所と言われていま

エンジェルリーディング

サイキックリーダー養成講座のアドバンスコース、 エンジェルリーディングコースを受講しました!! 天使ちゃんたちは、ブルーが大好き~💗 アリソン・ヘイズさん、ありがとう😊!! #サイキックリーダー #エンジェルリーディング #天使